2012年3月25日日曜日

2009年 - アジアパシフィックの一国に

振り返ると、この年はGoogle全世界とJapanのセールスチームにとって、過渡期と言える一年であった。
Google JapanのAdWordsセールスチームに関して言うと、前述したように、2008年までの組織体制は、


・アメリカ・カナダ
・ヨーロッパ
・アジアパシフィック+南アメリカ 
・日本


という区分けになっており、日本は一国で一つの事業単位としての扱いを受けていたのだが、2009年からは、アジアパシフィックの中の一国としてオペレーション上組み込まれることになった。アジアパシフィックとしての本社機能はシンガポールに置かれ、日本、中国、韓国、インド、オーストラリアが、その傘下に入ったことになる。


日本 ⇔ アメリカ本社 
から
日本 ⇔ アジアパシフィック本社(シンガポール) ⇔ アメリカ本社 


と意思決定プロセスが明確に変わったのである。


2008年までの 日本⇔アメリカ本社 体制の晩年、日本オフィスからの情報発信力は他国と比較すると強くなかったこともあり、本社からのサポートという点において、孤島のようになっていたのも事実である。
2009年初からの変更により、逆説的ではあるが、2008年までの 日本⇔アメリカ本社体制と比較すると、Google社内における日本に対する注目は格段にあがっていった。
それは、アジアパシフィックの他国と比べてAdWordsの売上が圧倒的に多いという実績と、日本の経済力、インターネット市場、広告市場規模を数値でみたときに、日本にはまだまだのびしろがあるという期待からうまれているものであり、シンガポールのマネジメントを中心として、日本以外の国からの注目が高まっていった。
注目が高まる、ということは、もちろんそれだけ関わりが深くなるわけであり、当たり前のことではあるが、営業戦略から日々の業務に至るまで、シンガポールに対する報告・連絡・相談が日常的になった。
これは、大きな変化ではあったが、自分が属する2008年に発足したセールスチームは、前述したように一足早くアジアパシフィックの他国との連携を始めていたこともあり、この体制の変更はある程度覚悟していたことであった。
また、こうした大きな流れと共に、年初から日本法人の社長が村上憲郎さんから辻野晃一郎さんに代わった。


日本への注目が高くなる、、言い方を変えれば、日本への目が光る環境となったことにより、良くも悪くも、日本独自の判断で進めてきたことを一から見直すことになり、この年は、Google Japan AdWordsセールスチーム全体を変革する一年となった。
自分としても、自らのセールスチームのパフォーマンス、顧客満足向上の仕事に加えて、セールスチーム全体の最適化をするための仕事にも関わることとなった一年であった。




 

0 コメント: