2012年3月31日土曜日

2011年 - Googleに感謝、そしてONCE AGAIN

この年の最終日である12月28日をもってGoogleを退職することにした。
なぜそのような決断をしたのか、という点については、ここまでの本備忘録で述べてきたとおりである。
2003年12月にGoogleに入社して以来、約八年間、Google並びにAdWordsを一人でも多くのお客様にご利用いただき、お客様のビジネスに貢献できるように取り組んできた。
色々と至らない点ばかりであったかと思うが、Googleを通じて、幸せなことに数多くの素晴らしい方々と出会い、大変充実した仕事生活を送ることができた。
お世話になった皆様には深い感謝とお礼を申し上げます。


そして、一度、心を決めてしまえば、あとは未来に向かって進むだけ。
長いことGoogleで共に働いたある同僚と私の持論、それは自分たちは "株式会社インターネット"に就職した人間なのだということ。
2000年からの10年以上、ビジネスマンとしての重要な年代を、このインターネットビジネスの世界でサバイブしてきた。
この自由な、そして変化と革新に富み、何か新しい価値を産み続けるインターネットビジネスが大好きなのであり、働き方、働く会社はその後からついてくるのである。
そして、2012年のテーマとして自分が設定したこと、これらは頭で考えたというわけではなく、自分が日々感じていることに向き合い、自然に出てきたものである。


(2012年のテーマ)
インターネットが本来持っている突破力、持たざるものでも世界中に情報発信できるという革新性を今一度重要に考える
インターネットビジネスにおいて成功されたこの業界の先駆者の方とお会いした時にお聞きした言葉、
"人類史上、はじめて誕生した世界共通言語は何か分かりますか? それはTCP/IP なんですよ"
これほどインターネットが地球単位で社会にもたらすであろうインパクトをシンプルに表現した言葉を知らない。これはインターネットでビジネスを行う際に、常に意識しておきたいことである。


・日本から海外へ

分がGoogleでやってきたことを端的に言えば、Googleというシリコンバレー産の製品を輸入していたこと、とも言える。次はそれとは反対のテーマ
に取り組んでみることが面白い。日本の製品、サービス、コンテンツ、或いはヒトそのものを、インターネットを通じて海外に対して発信すること。
未曾有の円高で環境としては逆風ではあるが、日本市場だけではなくて世界市場を対象としてビジネスに取り組むことは、将来的にも意義があるに違いない。


・意志ある人たちとの連携
インターネットを通じた人と人との繋がり、顔、感性、志の見える繋がりが急速に普及している。
これからは、初めは小さなグループであっても、同様の志を持つ人たちが結びつくようになり、各テーマに応じたムーブメントが活発になるであろう。これはインターネットありきで起きている時代の変化というより、私個人が感じている、時代の節目のようなものかもしれない。


2012年、これらのテーマを実現するために、与えられた条件の中でベストな環境で仕事をすることにした。自分でゼロから起業することも考えたが、結果として、自分の志、ビジネスプランに共感してくれたアレックス株式会社に参画し、上記のテーマを実現するために奔走しようと決意した。
短期的な利益を追求し最大化すること、それはあらゆる組織、個人に求められることではあるが、その種のゲームだけでこの世の中は成立しない、というのが自分の価値観である。
上記のテーマを実現することで、短期間で大きな収益に繋がるがどうかは分からない。
一日も早く、意義のあるものとして世の中にインパクトを与えるものにできるよう、力を尽くして取組んでいくだけである。


"人生とは必然の集積である"
今ある自分というのは、無数にあった分かれ道を、そのときそのときの可能性にしたがって進んできた結果の姿なのであって、「必然の集積」だと言ってもよい(by 中島らも)


Googleでの仕事の備忘録は、これで終わりです。
ご覧いただきありがとうございました。
これからは、現在、未来のことを記していきたいと思います。
本エントリーのタイトルに含めた、"ONCE AGAIN"(by RHYMESTER) の心持ちで取組んでいるエキサイティングな毎日を。

2011年の参考情報 
日本のインターネット広告費
8,062億円 (対前年比+4%)
 *出典:電通「日本の広告費」

Google 年間売上高 (全世界の売上) 
37,905百万ドル(対前年比+29%)

主なニュース

1月:「ペニオク」「グルーポンおせち」などネット取引のトラブルが話題に
2月:AndroidマーケットがPCから利用可能に、IPv4アドレス枯渇問題にも注目
3月:東日本大震災が発生、計画停電に関するニュースに多数のアクセス
4月:オンラインストレージ「Dropbox」のクライアントソフトが待望の日本語化
5月:個人情報流出でサービス停止していた「PlayStation Network」再開へ
6月:世界規模での1日IPv6実験「World IPv6 Day」実施、Googleのソーシャル化始動も
7月:NHK「みちしる」がトップ、Twitterのリアルタイム検索がGoogleで利用不可に
8月:「Hulu」日本上陸、YouTubeやニコ動など動画配信サービスに高い関心
9月:コピー機や自炊代行、クラウドなどにも影響する「私的複製」をめぐる議論
10月:GoogleがMaps APIの有料化と、新プログラミング言語「Dart」を発表
11月:セブン-イレブンで無線LANが使える「セブンスポット」開始へ
12月:スマートフォンを“覗き見”するとして「Carrier IQ」が大きな話題に
  出典:Internet Watch

2011年 - 強いセールスチーム

前述したとおり、2010年に発表されたYahoo!Japanとの提携をきっかけとし、それが実際に開始される2011年中には、自分自身は新たな道を進もうと決めていた。
しかしながら、年初より自分の責任範囲は広くなり、総勢約25名で約1,000社近くの広告主のお客様を担当する、第二広告営業本部を統括することになった。
非常に遣り甲斐のあるポジションを与えてもらった光栄なことであり、自分としてはこの一年をGoogleでの仕事の総決算とするつもりで臨んだ。


一言で言えば、個の力ではなくて、組織力でお客様の問題解決にあたるマインドを強くもったセールスチーム、個々は競争しながらも、目標達成のために一丸となれるような明るいチームをつくることを最後の目標に設定した。
それは、自分がGoogleでの仕事を通じてなかなか得ることのできなかった環境であり、だからこそ、少しでもそうした環境づくりを最後にできれば、と思ったからである。


Googleは社員間の競争が激しい会社であり、ともすれば個人商店になりがちなところもある。
採用も積極的に行っており、"その時必要な人材は広く外部から調達してくる"  という、スポーツで言えばニューヨーク・ヤンキース、読売巨人軍のような発想を持った会社(ヤンキース、巨人以上に)というのが私の経験に基づいた印象である。
なかなか心の通ったチームワークが育ちにくい土壌と言ってもよいだろう。
それゆえ、自分がGoogleで働いてきた八年間、孤独を感じるようなことも多々あった。
そんな自分が経験してきたGoogleのセールスチームに"Share your best practices" のattitudeを根付かせ、チームのミッションである
" Share the power of Google online ad products to grow mid-market businesses"
の実現と目標達成に向けて協力しあい、課題を抱えているメンバーがいれば皆で解決するという強いセールスチームをつくろうと心に誓った。
第二広告営業本部は若くてスピード感を持って仕事に取組む社員が多く、このメンバーならそれを実現できると思っていた。


我々のお客様は、伝統のある大企業・ナショナルクライアントといった企業ではなく、いわゆるネットベンチャーと括ることができる企業。
まず、チームを4つのグループに分けた。1,2,3のグループはお客様の業種別に分かれ、お客様のマーケティング課題を解決するために、AdWordsをフル活用してもらう継続的な提案活動を中心に行った。ここでは、お客様の課題を深く理解することに加え、それを解決する具体的なAdWords活用提案をするための深い製品知識が求められる。
4つめのグループには、ひとりあたりの担当顧客数が圧倒的に多くなるが、スピード感を重視した提案活動をスケール感を持って行う、というGoogleならではのチャレンジに取り組んでもらうことにした。
このグループに求められるスピード感は非常にハードルが高く、極力無駄を排した電話営業や代理店とのスケーラブルな協業が必要になってくる。
これら4グループ全てが、どんなに会社から高い目標が与えられたとしても、常に積極的に取組む
姿勢に溢れており、あらゆるアイデアを議論してすぐに実行する気持ち良さがあった。
詳細は割愛するが、それらのアイデアから実現した営業施策の一部をご紹介すると、、


春のパン祭り
南部せんべいお届けプロジェクト
冷し中華はじめましたキャンペーン
Google福袋
・・・・・・・・


一見おふざけのようにも見えるが、いずれも中身は広告主、代理店とのエンゲージを深めながら、Google AdWordsを更に活用してもらう工夫をこらした企画であり、我々第二広告営業本部が独自で発案して実行したものである。


その中で簡単に説明できる、東日本大震災後の"南部せんべいお届けプロジェクト"をご紹介したい。
3月11日以降の春先は、積極的にお客様とビジネスの話をするといった環境になく、日本人の多くが悲しみや喪失感、不安な気持ちにかられていたと思う。
我々の中で、お客様と未来について話をするきっかけが欲しく、そして、甚だ微力ながら東北の産物を消費することで何か役に立てることがあるのではないか、という話をしていた。
そして、我々が担当している全てのお客様に岩手県の南部せんべいをお渡しすることにし、お客様との未来に向けた対話のきっかけをつくることにした。


このようなアイデアが自発的、主体的にうまれてきて、それを素早く実行するといったことが当たり前のように行われる、”鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス” の気風に満ちたチームでお客様との仕事に取組めた2011年には何の悔いもなかった。
素晴らしいチームに恵まれたおかげで、自分自身も皆に負けないよう向上することができたと感謝するばかりである。


Googleは常に変化を求める会社であり、変化すること自体が目的化しているような一面も併せ持った組織である。
2011年の年末、Google worldwideの営業を統括するSenior Vice Presidentの鶴の一声により、世界各国のセールスチームが個別の事情を忖度されることなく、同じ方針で同じかたちで再編成されることになった。
そのため、Google Japan第二広告営業本部の面々も、2012年から各自が異なるチームで活躍することになったが、それまでの充実した仕事ぶりからしても、どこにいっても活躍しているに違いない、と私は思っている。





2012年3月29日木曜日

2010年 - The game is over

この年の7月、Yahoo! JapanとGoogleとの提携が発表された。

本提携は簡単に言うと以下の二点になる。
1. Yahoo! Japanの検索エンジンがGoogleから提供されるもの(をベースとしたもの)になる。
ユーザーに対する変更。これによりYahoo!のウェブ検索結果がほぼGoogleと同じになる。
2010年11月より実施された(発表当初は開始時期の具体的言及はない)

2. Yahoo ! Japanの検索結果に掲載するための広告配信システムがGoogleから提供されるもの(をベースとしたもの)になる
広告主に対する変更。広告主が購入したYahoo! Japanの検索連動型広告のバックエンドはGoogleが提供したものに変更になる。
2011年11月より実施された(発表当初は開始時期の具体的言及はない)


*上記2について大雑把に例えると、セブンイレブンでプライベートブランドとして売っているカップ麺が、実は日清製のカップヌードルだった、というような話で、ここではセブンイレブンがYahoo! Japan、プライベートブランドのカップ麺がYahoo!が販売する検索連動型広告、日清がGoogleの役割となる。
参考までに言うと、以前本ブログに記した2002年から2004年におけるYahoo!JapanとGoogleとの提携と今回の内容は異なる。
(この当時は、Google AdWordsを購入すれば、Yahoo!にもGoogleにも掲載されますよ、という提携内容であった)

私個人にとって、今回のYahoo!Japanとの提携は、2003年に自分がGoogleで働きたいと思った動機、そしてその後約7年間、一貫して自らの仕事の動機づけとしてきた "Yahoo! Japanの二番手である現状を打破したい"というテーマの終りを意味した。
もはや、ビジネス上の仕組みとして、"Yahoo! Japanを追い越そう" と言う必要がなくなったのだ。

今回の提携(広告主に対する変更となる上記2)により、Googleが日本で二番手のままであっても、提携先であるナンバーワンのYahoo! Japanの広告が売れれば 、その売上の一部もGoogleの収益になるのである。
つまり、Yahoo! JapanからGoogleが受け取る業務委託費の限界利益率 の方が、Google自らの営業活動による売上の限界利益率よりも高ければ、Yahoo! Japanの売上を増やした方がGoogleの利益にとってはプラスになる、ということも起こり得る仕組みなのである。


このYahoo! Japanとの提携にゴーサインを出したのは、CEO(当時)のエリック・シュミットであるが、もし自分が彼であったら同じ決断をするだろうか?ということが頭をめぐった。
ビジネス的には幾つかの選択肢の中のひとつであり、そのこと自体決して間違った選択ではないと思う。実に良くできた仕組みであるし、経営者としては保険をかける(Google JapanがだめでもYahoo!がある)のは当然のことであるから、それに異を唱えるわけではない。
数年先を見据えれば、ここで検索連動型広告におけるGoogle単独での市場拡大に見切りをつけ、来るべき他の市場(Facebookに代表されるソーシャルマーケティング市場)での競争に注力する体制を整える、という思惑もあったのかもしれない。それは十分に理解できることである。

ただ、私個人にとっては、"The game is over." というサインであり、この提携が実際に開始された時は自分が新たな道を進む時だということを心に決めた。
この想いは、2000年からインターネットビジネス、広告営業に携わってきた自分の私的なものであり、ここで記したようなことは、当時のチームメンバーの前で口にしたことは一切ない。
自分の仕事歴に基づいた私的な想いを、Googleの営業の最前線に立つ面々に押し付けるような真似は一切したくなかったからである。

この提携は、ここ数年で日本のSearch Engine Marketing市場に最大のビジネスインパクトを与えるニュースと言える。
それほどまでに日本市場に大きなインパクトを与える提携でありながら、その合意までの経過全てがアメリカ本社主導で行われ、当事者となるべきGoogle Japanが主体的に関わっていないということも、新たな道を進もうという決断を後押しする材料のひとつであった。


2010年の参考情報 
日本のインターネット広告費
7,747億円 (対前年比+10%)
 *出典:電通「日本の広告費」

Google 年間売上高 (全世界の売上) 
29,321百万ドル(対前年比+24%)

主なニュース
*Googleが中国市場から撤退、「検閲をこれ以上容認できない」
*AppleがiPad発売、電子書籍市場に参入*「IS03」「GALAXY」など国内キャリアもAndroid搭載スマートフォン投入*ヤフーがGoogleの検索エンジンと広告を採用、業務提携で
  出典:Internet Watch



2012年3月27日火曜日

2010年 - お客様に触発される

この年は、ここ1,2年で新たに仲間に加わった活きの良い若いメンバーと共に、自分のチームでの仕事に専心した。
我々のチームのお客様は、インターネットによるビジネスがその企業にとっての主な収入源であり、インターネット広告の活用がマーケティング上の最重要課題である、といった企業であったので、Googleのセールスである我々からの情報や提案を非常に熱心に聞いてくださり、その提案内容に同意していただければすぐに実践していただくという、非常に恵まれた環境であった。
どのお客様も経営にスピード感があった。

これらのお客様は伝統のある大企業・ナショナルクライアントといった企業ではなく、いわゆるネットベンチャーと括ることができるお客様が多かった。
セールスの我々が普段コンタクトをとる方々は、企業における意思決定者に近い場合が多く、自分も多くの経営層の方々と接する機会を持つことができた。
そうした環境の中、Google のセールススタイルとして会社からも推奨され、私自身も常に意識的に実践し、そしてチームにも促していたことは、

"お客様の話を良く聞き、情報を引き出し、課題を共有すること”

ということであった。
はじめからGoogleやAdWordsの話しをするのではなくて、とにかく話を聞く、ということである。
ある程度経験を積めば、自然な流れでお客様から情報を聞いて課題にまで到達できるが、そうでないケースでは、それを実践するための決まった質問シートを持参するよう促したものである。
お客様の課題を共有できれば、自ずとその解決のためにGoogleができることが見えてくる、というのがその背景にある考え方であった。
そして、それが可能なのはAdWords をはじめとするGoogle製品の品質の高さによるものであった。

"どんな時に、Googleで働いていちばん良かったと思いますか?"
という質問を、採用面接の面接官をしている時に良く聞かれたものであるが、その時に私は決まって以下のように答えていた。

"私はずっとセールスとしてGoogleで仕事をしてきました。通常、会社の営業マンというのは、自社製品の売り込みを、時にはちょっとしたうしろめたさを持ちながらやらなくてはいけない。この製品は本当にお客様にとってベストの選択なのか?と自信を持てないこともあるのです。だから押し売りっぽくなったり、値下げをしてそのうしろめたさを解消したりすることもあります。
でも、Googleではお客様の課題を解決するためにどうすれば良いのか、ということをまっすぐに考えて、そのために知恵を絞って提案すれば良いのです。
これは、非常に恵まれたことであり、セールスとしての本来の仕事に邁進できる環境に感謝しています。" 

" Share the power of Google online ad products to grow mid-market businesses”

これが、自分が属する Google Online Sales GroupのリーダーであったVPのクレア・ジョンソンが世界共通に掲げたミッションであり、このミッション、特に "grow mid-market businesses" は自分自身の性格と成し遂げたいことにぴたりとはまったものであった。

そして、このOnline Sales Groupというチームで、経営層のお客様と接点を持ち、彼らが日増しに成功をおさめていくことを目の当たりにするに連れ、自分の中で経営者に対する憧れや、小さな企業でも良いからいつの日か自分がその立場で仕事をしてみたい、という気持ちが湧いてきていた。
自分が接した経営層のお客様の多くは、若くて、リスクを恐れず挑戦し、責任を背負って、そして前向きで明るい方たちであり、自分にはぴかぴかに光って見えた。



ビジネスの真の醍醐味は、企業全体に対して意思決定を及ぼせる立場になって初めて分かると思いはじめていた。
Googleという素晴らしい会社で、ある営業部の責任者という立場を任せてもらっていたことは光栄なことではある。
しかし、それは会社全体の意思決定に関わるということとはほど遠く、ましてやアメリカに本社のあるこれほどまでの大企業では、日本にいる限りそれは望むべくもない。


"鶏口となるも牛後となるなかれ" という価値観に惹かれはじめたことを自覚していた。


追伸:あるお客様が、自らの言葉で、Google AdWordsを使い倒したことで事業の収益化に成功した体験を語っているビデオを紹介いたします。(前編後編
東京都西多摩郡で自動車の板金塗装を営む池内自動車様の社長と私の対談になりますが、AdWordsがもたらすビジネスインパクト、その革新性をここまでシンプルに表現したお話しは貴重である。
広告がもたらすビジネスインパクトというのはシンプルに語られるべきものであり、シンプルであればあるほどパワフルなストーリーになる、だからこそAdWordsによってGoogleがここまでの成功をおさめることができたというのが私の経験からの持論である。
もっとも、ビデオ内でも語られているように、ビジネスインパクトを産み出すための試行錯誤を絶やさずに行うことが前提にはなるが、それこそがまさにAdWordsが持つ革新的な部分なのである。
*本ビデオは2011年前半に撮影されたものであるが、本エントリーの内容と関連性が高いので、こちらで紹介いたします。

2012年3月26日月曜日

2009年 - Right Support to the Right Customer - 適材適所

シンガポールにGoogleセールスチームのアジアパシフィック本社が築かれたことにより、その市場規模の大きさから日本への期待と共に、目が光る環境となったことは前述したとおりである。
そして、良くも悪くも、日本独自の判断で進めてきたことを一から見直すことになったわけだが、この流れは2008年から少しずつはじまっていた。
大きな命題として取り組んだのは、
"適切な営業サポートを適切なお客様に提供する" (Providing right support to the right customer)
ということであった。
それを実現するために掲げた大きな方針は以下となる。

1. 企業規模、広告宣伝費(インターネット広告費に限らず)の多い企業を割り出し(いわゆるナショナルクライアント)、それらの企業とGoogleとのリレーションを築きあげ、Google製品の活用を促すことを可能にする営業活動の基盤をつくる。そのセールスチームは業種別に分かれて、専門性を発揮する。
 
2. インターネットによるビジネスがその企業にとっての主な収入源であり、インターネット広告の活用がマーケティング上最重要課題である企業について、スピード重視で提案できる営業部隊を質、量とも強化していく。このセールスチームは、AdWordsの具体的提案を数多く実施し、お客様のマーケティング課題を解決することを目指す。
*ちなみに、この部分は私が2008年から取り組んでいたことである。

3. 月額数千円、数万円のご利用金額ではあるが、継続的にAdWordsをご利用してくださるお客様ー このゾーンは顧客数が多いため、Googleが持つテクノロジーの活用等の工夫により、スケーラブルな(かつ品質の高い)サポートを提供することを目指す。


4. Google自身で新規顧客開拓を組織的に行うチームを立ち上げる。

この4つは、いずれもGoogleのアメリカ本社をはじめとした各オフィス、ヨーロッパですでに行われていたことであった。
これまで述べてきたように、Google Japanは、"広告代理店に対する営業活動を中心に行う" というのがAdWordsセールスにおける大きな方針であり、多くのリソースをそこに割いていた。
もちろん、上記の4つを実現するためには、広告代理店とのパートナーシップが必要になる局面が多々あるので、今後は広告代理店への営業活動には力を入れないという意味では全くない。
Googleとしての上記の大方針のもと、代理店とは主体的かつ戦略的にビジネスを行う、ということを目指したかったのである。

そして、これを実現するために、セールスチーム内での担当顧客変更、仕事内容と担当の見直し、新チームの設立、新規採用といった施策をうった。
自分の最も大事なミッションは上記2を実現することであり、そのために仲間達と全力で取り組んだが、自分としてはそれだけがうまくいったとしても合格点にはならない、という意識を強くもっていた。
なぜならば、2009年の大目標は、AdWordsセールスチーム全体として
"適切な営業サポートを適切なお客様に提供する"
 ということを実現することであり、そのために上記4つの大方針を掲げたからである。
自分が主として取り組むのは、そのなかの2の範囲ではあるが、4つの全てを実現するために、自分ができることは全てやりたい、と思い、実際に関わらせてもらった。


この年に我々が取り組んできたこと、実現したこと、、これに対してお客様から評価していただき、数字上の成果を残せるようになるまでは、約一年かかってしまったかもしれない。
この一年は、より良いサービス、顧客満足、そしてGoogle Japanの更なる発展のために新たな方針を掲げ、それまでのやり方を変えることに仲間たちとチャレンジした一年であった。

気がつけば、あっという間に一年が過ぎていた。


この年の大きな変化としてもうひとつ記しておきたいこと、それは1998年のほぼ創業時から全世界のGoogleのビジネス責任者であったSeior Vice Presidentのオミッド・コーデスタニが一線を退いたことである。(日本在住経験もある彼により、日本はアメリカ以外の国で開設された最初のInternational officeとなった)
後任は、2004年からヨーロッパのセールス責任者だったニケッシュ・アローラとなった。
この年はアメリカの大統領がブッシュからオバマに代わり、様々な政策転換がドラスティックに行われはじめたが、Googleのビジネス責任者の交代もそれと同様のチェンジをもたらすことになった。

アメリカ企業において部門のトップが変わると、ここまで変わることになるのかと、この後ことあるごとに思い知らされることになる。

2009年の参考情報 
日本のインターネット広告費
7,069億円 (対前年比+1%)
 *出典:電通「日本の広告費」

Google 年間売上高 (全世界の売上) 
23,651百万ドル(対前年比+9%)

主なニュース
*MS、「Windows 7」発売。「ユーザーの声」をもとにVistaを改善
*「Twitter」流行の波が日本にも。著名人の利用や関連サービス発表が相次ぐ
*Google、「Google日本語入力」ベータ版公開
*アップル、「iPhone 3GS」発売。最新OSでコピー&ペーストにも対応
*Google、「Google Chrome OS」プロジェクト公開。製品登場は2010年後半
*「Android」端末が日本でも登場、NTTドコモが「HT-03A」発売
*MS、新検索サービス「Bing」開始
 




2012年3月25日日曜日

2009年 - アジアパシフィックの一国に

振り返ると、この年はGoogle全世界とJapanのセールスチームにとって、過渡期と言える一年であった。
Google JapanのAdWordsセールスチームに関して言うと、前述したように、2008年までの組織体制は、


・アメリカ・カナダ
・ヨーロッパ
・アジアパシフィック+南アメリカ 
・日本


という区分けになっており、日本は一国で一つの事業単位としての扱いを受けていたのだが、2009年からは、アジアパシフィックの中の一国としてオペレーション上組み込まれることになった。アジアパシフィックとしての本社機能はシンガポールに置かれ、日本、中国、韓国、インド、オーストラリアが、その傘下に入ったことになる。


日本 ⇔ アメリカ本社 
から
日本 ⇔ アジアパシフィック本社(シンガポール) ⇔ アメリカ本社 


と意思決定プロセスが明確に変わったのである。


2008年までの 日本⇔アメリカ本社 体制の晩年、日本オフィスからの情報発信力は他国と比較すると強くなかったこともあり、本社からのサポートという点において、孤島のようになっていたのも事実である。
2009年初からの変更により、逆説的ではあるが、2008年までの 日本⇔アメリカ本社体制と比較すると、Google社内における日本に対する注目は格段にあがっていった。
それは、アジアパシフィックの他国と比べてAdWordsの売上が圧倒的に多いという実績と、日本の経済力、インターネット市場、広告市場規模を数値でみたときに、日本にはまだまだのびしろがあるという期待からうまれているものであり、シンガポールのマネジメントを中心として、日本以外の国からの注目が高まっていった。
注目が高まる、ということは、もちろんそれだけ関わりが深くなるわけであり、当たり前のことではあるが、営業戦略から日々の業務に至るまで、シンガポールに対する報告・連絡・相談が日常的になった。
これは、大きな変化ではあったが、自分が属する2008年に発足したセールスチームは、前述したように一足早くアジアパシフィックの他国との連携を始めていたこともあり、この体制の変更はある程度覚悟していたことであった。
また、こうした大きな流れと共に、年初から日本法人の社長が村上憲郎さんから辻野晃一郎さんに代わった。


日本への注目が高くなる、、言い方を変えれば、日本への目が光る環境となったことにより、良くも悪くも、日本独自の判断で進めてきたことを一から見直すことになり、この年は、Google Japan AdWordsセールスチーム全体を変革する一年となった。
自分としても、自らのセールスチームのパフォーマンス、顧客満足向上の仕事に加えて、セールスチーム全体の最適化をするための仕事にも関わることとなった一年であった。




2012年3月23日金曜日

2008年 - 初めての新卒社員

この年の4月にGoogle Japanの営業職(ビジネス関連職)として、はじめて新卒社員が入社した。
それまでは中途採用のみで構成されてきた社員の中に、社会人経験のない新卒社員が入ってくるというのは、大きな変化であった。
現代においては終身雇用を前提とした就職をする人がマジョリティとは思わないが、日本において一般的に優秀だと言われている学生、エスタブリッシュメント候補生は大企業に就職し、企業内での競争でもまれていくパターンが多いものである。
何が言いたいかというと、それまで中途入社の集まりだったGooogle Japanの社員連中というのは、そうした一般的な意味でのエスタブリッシュメント候補生の道を歩んだような人はほとんどおらず、山師的で、あくが強い人たちであった。
Googleだけでなく、インターネットビジネスに携わる人々の傾向として言えることであり、自分はそういう人たちの集まりで仕事をすることが、とても楽しかった。

新卒社員に話を戻すと、Googleのような歴史の浅い会社、そして短期間での成果主義に重きを置く会社 - 三か月毎の成果に応じて査定が行われ、連続して期待に達しない社員は自分で仕事を探さなくてはいけない、という企業風土、長い目で見て従業員を教育するというよりは、短期間で成果を最大化することが求められるような環境においては、入ってくる方も、迎える方もチャレンジであったことは間違いない。
個人的には、Googleが新卒で入社したいと思ってくれる会社になったこと、そしてそこに飛び込んでくる意志を持った人たちがいるということは、素直に嬉しかった。

就職活動というのは、どちらか一方が選ぶ立場というものではなくて、学生も自分にあった企業を自ら選別するべきものだし、企業側も自分たちにとって利益をもたらすであろう学生を選ぶという、お見合いのようなものである。
Googleで5年分の新卒採用の面接を行い、その後の仕事ぶり、パフォーマンスを見てきた立場として言えることは、Googleへの就職をゴールと考えている言葉を発する人より、Googleを自分の目標達成のためのステップとしてとらえているという野心を少しでも表現する人の方が、Googleとの相性は良く、就職後のパフォーマンスが高い。
もちろん、一般的にはレベルの高い人たちが多く、自分が学生だったら逆立ちしても入社できないだろうが、、

この後、2009年以降の継続して新卒社員の入社は続き、自分も上司という立場になったり、身近で働くことも多々あったが、意欲的で良く働き優秀で、人間的にも気持ちの良い社員が多く、大変恵まれた環境であった。


2008年の参考情報 
日本のインターネット広告費
6,983億円 (対前年比+16%)
 *出典:電通「日本の広告費」

Google 年間売上高 (全世界の売上) 
21,796百万ドル(対前年比+31%)

主なニュース
*Google マップの「ストリートビュー」、日本の一部地域も提供開始。プライバシー面での問題指摘も
*Appleが「iPhone 3G」発表、日本でもソフトバンクモバイルから発売
*GoogleがWebブラウザ市場へ参入、独自開発の「Google Chrome」リリース
*JASRAC、「YouTube」や「ニコニコ動画」など動画共有サイトと管理楽曲の利用許諾契約
*「ニコニコ動画」がSP1、夏、秋、ββへとバージョンアップ。ID登録者数は1000万人突破



2012年3月22日木曜日

2008年 - Share Your Best Practices

この年からはじまったこととして、他国のGoogleセールスチームとの連携ということが印象に残っている。
 私は、この時点で約4年以上Googleで仕事をしていたが、それまでアメリカ本社以外の他国オフィスと仕事上で繋がりを持つことはほとんどなかった。
それは、Google Japanのセールスチームが、組織上独立していたためである。
ちなみに、Google Japanは、アメリカ以外の国で開設された最初のInternational office であり、2001年夏に産声をあげた。
2008年当時のセールスの組織体制としては、


・アメリカ・カナダ
・ヨーロッパ
・アジアパシフィック+南アメリカ
・日本


という区分けになっており、日本は一国で、一つの事業単位としての扱いを受けていた。
この時点では、上記自体に変化はなかったが、私のセールスチームは、アジアパシフィック+南アメリカという出来立てほやほやチームと横の連携をとることが求められ、定期的に情報交換を行っていた。
具体的に言うと、アジアパシフィックは中国、香港、韓国、インド、オーストラリア、南アメリカはブラジル、アルゼンチンといった国々である。
中国、香港、韓国といった地域では、Googleのマーケットシェアが一位ではないこともあり、日本と状況が似ていたので、お互いにシンパシーを持ちながら具体的な課題についての相談をしていたものである。
"Baidu(中国) 、Naver(韓国)に使われる広告主の予算を、どうやってGoogleに引っ張ってきているの?” といったように。


しかし、アジアパシフィックや南アメリカのセールスチームと横の連携を深めることについて、そのような広告市場が小さい国と連携をとることに異議を唱える声を日本の中から聞いたことがあった。
”与えることはあっても、得るものは少ないだろう”
という意見である。
確かに、それらの国と比べれば、日本は様々な課題について先に取り組んできたことも事実である。
しかし、その時、実際にそれらの国々との連携を実践した自分が言えることは、彼らと共に仕事をすることで、お客様に還元できるたくさんの有益な情報を得ることができた、ということである。
例えば、我々が取り組むまでは全く日本で知られていなかったことであるが、Googleインドには、各国のセールスチームをサポートする部署があり、広告主提出用の分析レポートを作成してくれるのである。
作成してくれるレポート数に限りはあるが、こうした連携をとることにより、お客様に提供できるサービスを向上させることもできた。
余談だが、インドのハイデラバードにあるオフィスに出張した時、この取り組みを手伝ってくれている社員を訪ね、お土産とともに日頃の感謝の気持ちを伝えたところ、大変喜んでくれただけでなく、日本の広告主に対する質問攻めにあい、こちらとしても多いにやる気が向上したことを覚えている。
GoogleのようなInternational Companyで働く醍醐味のひとつ、それは物理的に遠いところにいても、同じ目標に向けて仕事をしている仲間、自分を助けてくれる仲間がいる、ということである。


"Share Your Best Practices"  自分の成功体験を他人と分かちあうこと、これは当時、ことあるごとに言われていたことであるが、このことは私がGoogleで学んだビジネスマンとしてのattitudeの中で大事なことのひとつである。
自分の成功体験を隠すのではなくて、惜しみなくオープンにして、他の人にも活用してもらうこと、そのようなattitudeを実践している人には、他の人からも有益な情報がもたらされ、自分の成功に繋がる好循環が産まれる、、これがどの組織でもいつでも有効かどうかは分からないが、少なくとも当時Googleで仕事をしていた私にとっては、多いに機能したことであり、今でも大事にしたいと思っているビジネスマンとしてのattitudeである。





2012年3月18日日曜日

2008年 - 新しいセールスチームを創ろう!

4月より、新たな部署へ異動し、小さいながらもひとつのチームのマネジメントを任されることになった。新チームは、同じくAdWordsの営業組織ではあるものの、"広告代理店を使わずに、自社でAdWordsを利用している広告主" を対象顧客とする、新たな営業組織であった。
お客様を類型化すると、世間で言うところの”ネットベンチャー” や”中小企業”であり、それまで広告代理店と一部の大企業のみを対象として、こちらから働きかける営業活動をしていたGoogleにとっては、ほとんど手をつけられていないお客様たちであった。


これまで何度か書いてきたように、 "広告代理店に対する営業活動を中心に行う” という営業戦略でずっと活動してきたGoogle Japanからすると、そちらの活動が当時のメインストリームであり、私が移ったこの新チームは辺境といった位置づけだったのだが、前述したように、かねてより広告主へ直接顔の見える営業活動を行うことの重要性を訴え続けていた自分にとっては、まさに渡りに船と言えるような新たな仕事である。
そしてそのことを、個人プレイヤーとして取り組むのではなく、組織としてチームメンバーと共に同じ目標を掲げ、達成に向けて力をあわせて仕事ができる、ということが何よりも嬉しかった。


私をこの新チームに招いてくれたのが、のちに上司となったアメリカ人の女性である。
彼女は元々、アメリカ本社のAdWordsセールスチームで働いていた経験があり、日本のセールス基盤を強化する、新しい営業チームを創りあげる、というミッションを持ち、その遂行まで数か月の期間限定で日本に来ていた。
彼女が日本に来て間もない頃、彼女に日本のマーケットに関する情報提供をして欲しいと、当時の上司に依頼され、カジュアルなミーティングを持つことになった。
私は事前に、日本のインターネットビジネス、広告市場に関する基本的なデータ、Googleの利用者数(サードパーティーのもの)、売上推移、顧客数、利用金額別顧客数等の、ごく基本的なデータを簡単にまとめ、それらをミーティング時に紹介したところ、彼女は熱心に質問を投げかけてきて、メモをずっととっていた。
これは、後になって彼女から言われたことだが、
"私が日本に来た直後に、私が知りたいと思っていることを数字と共に教えてくれたのは、あなただけだった。だから、私と一緒に新しいチームを創ることを手伝ってほしいと思っていた” 
もちろん、リップサービスも含まれており、自分としてはごく当たり前のことをやっただけではあるが、そうしたひとつの機会で自分の働くポジションが変わるきっかけになる、ということもあるのだ。


自分よりも5つ以上も年下の彼女であったが、頭脳明晰で、とにかく良く働く人であった。
そして、”日本の顧客やビジネス状況を良く理解しているのは、私ではなくてあなたです” という言葉と共に、私の話しを何よりも良く聞いてくれたことで、ともに日本のセールス基盤を強化する、という目標に向かって充実した仕事をすることができた。
アメリカ流でやるところ、日本流でやるところ、その兼ね合いを議論して探りながら、最適と思われることを彼女と、同僚マネージャーと私とで決めていった毎日であり、非常に充実していた日々であった。


そして、約八か月の日本でのミッションを終え、彼女はアメリカ本社での新たな仕事と共に帰国した。
その時、我々新チームのマネージャー陣、メンバー一同の目標達成意欲、結束は非常に固かった。


"ネットベンチャー、中小企業"のお客様をもっと増やそう! "
"Googleが日本で一番になることを目指して頑張ろう"!
といったことを、自分がチームの前で言うことに何の躊躇もないほど若い活力に満ちており、これは今までのGoogle Japanのセールスチームとは確実に違ったムードであった。


一同での旅行、パーティーなんかは、いつも大変賑やか大盛り上がりで、まさに、
”良く働き、良く遊ぶ” といったGoogleらしさを体現していた。
たくさんの貴重な思い出がある日々である。









2008年 - キックオフミーティング

自分にとって、この年はGoogleでの仕事生活の中で最も変化に富んだ一年であり、自分の新たな目標、それを共に目指す仲間達を得て、働く意欲をかきたてられた、非常に重要な年と言える。
それは自分を取り巻く環境が変化したこと、そして自分自身が変化を起こすために行動したという、両方によるものであった。

2007年のエントリーで書いたように、前年からあらゆる職種での採用が進み、Google Japanの社員は今までとは違うペースで増えていた。そのように、新しくGoogleに入ってくる人たちの働く動機は、ひとそれぞれであったが、中でも、



"Googleの日本でのプレゼンスを強くしたい" 
"Yahoo! Japanの二番手である現状を打破したい"


といったようなマインドを持つ人たち、現状に甘んじることなく挑戦する志を持った新たな仲間の存在は、当時の自分にとっては非常に心強いものであった。
そうした志を持った仲間を中心に、2008年をGoogle Japanの反転攻勢に出る一年にしたいという意志のもと、エンジニア、営業といった職種を超えて課題を共有し、ディスカッションを行う場をニューイヤーキックオフとして新年に開催することにし、自分もその実現に向けて様々な手伝いをした。

年末12月から様々な準備、大勢のユーザーやお客様たちへのインタビューを行い、Googleの製品、サービス、ビジネス手法に対する期待、改善点等に関する"生の声"を30分程度のビデオにまとめ、自分達を取り巻く環境を把握することからはじめることにした。
この準備は正月休みにも行ったが、自分にとっては何の苦でもなく、寧ろGoogleに対する様々な意見を把握することができて勉強になり、また、制作過程で携わった社員とのディスカッションを通じて、”自分たちはGoogleをこうしたい” といった主体的な態度がどんどん生まれ、年始から仕事への意欲が活気づけられた。


当日は朝4:00まで会場の目黒雅叙園で最後まで準備を行い、その後1時間だけ仮眠をとり、自分の役目であったイベント司会進行のためのリハーサルを5:00から行った。
一日がかりの本キックオフミーティングでは、様々なディスカッションが行われ、意義あるイベントだったと思っているが、結果として、開催後、会社規模での目にみえるかたちでのドラスティックな変化はなかった。
ただ、現状に甘んずることなく更に高みを目指すという意志を自ら公にすることにより、自分の働き方を変える機会を創ることになったことは、大きな収穫であった。
新年から、意志がみなぎっていた。 


2012年3月15日木曜日

2007年 - YouTube広告


もうひとつ印象に残っているのは、YouTubeの日本での広告商品化、販売活動に携わったことである。
AdSense
の掲載先としてのYouTubeへの広告掲載ではなく、YouTubeだけに掲載される広告商品、トップページへの広告やブランドチャネルと言われるページへ掲載される商品をアメリカのYouTubeと連携しながら日本で製品化することを目指し、年末に販売活動を開始した。
 

この製品化プロジェクトは、数名のメンバーから構成され、自分は主に顧客からの受注フロー、アメリカ本社のYouTubeチームと連携して入稿から掲載までのオペレーションを確立することをミッションとし、ローンチまでの期間限定ということで携わった。
YouTube
はこの前年にGoogle$16.5Mで買収し、その買収当時の年間売上が1,500万ドルという事実で話題になったように、収入基盤は強固なものとは言えなかった。
お金儲けを全く考えていないと言っても過言ではないくらい、とにかくユーザーに支持されるためのサービス構築に徹していたと言える。

日本での広告商品販売開始プロジェクトに際して、二度ほどアメリカのサンブルーノにあるYouTubeオフィスへ行き、計二週間、アメリカの営業現場でオペレーションを身につけるために滞在した。
そこで知らされた事業収支の赤字具合には驚いたものである。
また予想していたことではあるが、何よりも広告掲載までの仕組みの古臭ささにも改めて驚いた。

前述したように、自分がGoogleで働きたいと思った最大の理由は、AdWordsという製品が持っている革新性に強く惹かれ、それが日本の広告市場に大きなインパクトをもたらすことを確信し、そのチャレンジを自分自身で行ってみたかったからである。
その革新性とは、 

(AdWords)
・予算に応じて広告掲載ができる!
・Webサイトとクレジットカードがあれば、24時間いつでも誰でも購入可能!
・広告主が直接、掲載条件を管理できる!

といった、従来の広告商品にはない特徴であった。
しかし、この時取り組もうとしていたYouTubeの広告というのは、この3つとは正反対の製品、つまり、 

(YouTube)
・固定価格での広告掲載
・注文書によるやりとり
・媒体側だけが広告を設定できる

 
という、AdWordsが起こしたパラダイムシフトと全く逆行するような広告商品であったのである。
しかも、広告の掲載設定に際しては、アメリカ本社のGoogleコンプライアンスチームの承認を得てから、サンブルーノのYouTubeチームに広告設定を依頼するといったように、ステークホルダーが多く、国境、時差のある中で、彼らと共にミスのないようなフローを確立しなくてはいけなかった。
自分としては、この時点でのYouTube広告商品のアドバンテージは、日本で初めてという以外、特に売り文句になるものはないように思っていたが、このように国を超えて関係者の多いオペレー ションのフローを最初から最後まで確立する、という点においては、このプロジェクトの意義を感じ、自らの仕事に取り組んていた。

受注活動は、このようなはじめての取り組みだから何が起きるのかも分からない、、という点を理解してくださる広告主に限定して行い、結果として東芝とリクルートの2社にお試しいただくことになった。
掲載開始の当日、最後までアメリカYouTubeチームとのやりとりが続き、開始予定時間の直前で
緑信号が点灯する(掲載開始の社内シグナル)という綱渡り、しかも開始後も想定していない現象が起き(掲載途中結果レポートが出ない等)、常に予断を許さない状況であったことを覚えている。
 
ちなみに、2012年現在では、AdWordsを通じてYouTubeへ掲載できる広告商品のバリエーションも増えており、様々な先進的なことにも取り組めるようになっているので、古臭い方法ではない使い方もできるようになっている。



2007年の参考情報 
日本のインターネット広告費
6,003億円 (対前年比+65%)
 *出典:電通「日本の広告費」

Google 年間売上高 (全世界の売上) 
16,594百万ドル(対前年比+56%)
 *出典:Google Investor Relations 

主なニュース
*YouTube、ニコニコ動画など動画共有サービスが人気。後続も続々登場
*Windows Vista発売、「Windows Live」正式版もスタート
*ライブドア元社長の堀江貴文氏に懲役2年6カ月の実刑判決、堀江氏は控訴
*Gmailが登録制に移行し一般公開、容量も事実上無制限に
*mixiユーザー数1,000万突破、一方で日記を晒される例も増加しmixiが対策
*Second Life日本版開始、各社続々参入もユーザー人気はいまひとつ
*Google、携帯電話向けプラットフォーム「Android」を発表
*中国最大の検索エンジン「百度」、日本語版サービス開始
 
出典:Internet Watch