2012年8月23日木曜日

乃木坂にて

今、自分が勤めるオフィスは東京 赤坂の乃木坂にあります。
"乃木坂" の由来は、東郷平八郎とともに日露戦争の英雄と賞される乃木希典将軍 の邸宅がこの地にあったことによります。
ちなみに、"乃木坂"と名付けられる前は、暗くていかにも幽霊が出そうな坂、ということで幽霊坂と呼ばれていたようです。(地図にも記載されています)

日露戦争での乃木将軍の武功は世界中にとどろいておりますが、自身の二人の息子を共に日露戦争で失っております。
将軍自身、日本の津々浦々、時間があれば戦死者の遺族を自ら訪ね歩いていたと言います。
そして何よりも、当時の日本を揺るがしたのは、乃木将軍が明治天皇の大葬の日に、夫人静子と共に自宅で殉死という最期を選んだことです。
学生時代に読んだ夏目漱石の「こころ」。この小説中の非常に重要なテーマとして、この乃木将軍の殉死が扱われており、それにより乃木希典という明治の軍人を知りました。

今、この地には、御夫妻の御霊を祀った乃木神社と当時の邸宅がそのままに残されております。

(乃木神社)

(旧乃木邸)

(大将夫妻殉死の室)


灯台下暗しといいますが、毎日通っているオフィスのすぐ近くにある、このような歴史ある場所を今一度訪れるのも、日本再発見のひとつと言えるのかもしれません。


追伸: 乃木神社 御祭神百年記念のひとつとして、今なら乃木坂46という女性アイドルの子たちが、乃木神社の由緒について説明してくれるようです。
乃木坂46“七福神”各メンバーのポスターにカメラをかざすと、画面上にメンバーが現れ、動画により乃木神社の解説をするというものらしいです。
写真のようなポスターが至る所に置いてありました。




良くわからないですが、、今の世の中なんでもあり!

2012年6月30日土曜日

Facebookファン数急増中


私たちが運営しているALEXCIOUSは、この六月で一周年を迎えました。
世界中のお客様にサービスを提供するということを目標に、開設当初より英語のみでのWebサイト運営を行うという野心的な取り組み、試行錯誤を続けております。
そのようなプロセスを経て、成功したこと、失敗したことの両方から学習し、次の成功につなげるためのアクションを素早く実行することが何よりも大事であると実感しております。


そんな数々の取組みの中で、最近以前よりも結果を残すスピードが早くなっていることのひとつとして、ALEXCIOUSのFacebookページでのファン獲得が挙げられます。
今年4月末時点でのファン数は約30,000人でしたが、この6月末には約80,000人となり、おかげさまで加速度的に増えております。
(ご参考) fbrank.main.jp 準日本語ランキング 54位  *2012年6月30日時点


4月末に、我々はFacebookファンページを運用する当面の目的を以下のように明確にすることにいたしました。

"ユーザーの関心を惹くための情報を発信し、ALEXCIOUSのファン数を増やす。具体的には×月までに×人を目標にする"


それまで行っていたのは、ALEXCIOUSで取り扱う商品を毎日紹介するというものでしたが、これを機に方針を変えたのです。
ALEXCIOUSや製品の前に、日本の文化そのものに興味を持ってもらうよう、日本に関するトリビア的なことを毎日一記事 Japan - A Daily Glimpse  というタイトルで紹介することにいたしました。その内容は歴史・文化といった伝統的なことから、アニメキャラクターの乗り物紹介(これがなぜか人気あり)といったことまで、幅広く日本に対する興味関心を持ってもらうように心がけております。
また、それにともない、ファン獲得のためのFacebook広告の運用方法も変更いたしました。
"×月までに×人を目標にする" の達成に向けて、楽しみながら引き続き試行錯誤を続けていきたます。


また、その当面の目標だけではなく、よりスケール感のあるファン数獲得施策とALEXCIOUS Facebookショッピングのご利用促進についても、Plan Do Check Action をスピードアップして行っていきたいと思います。




2012年6月1日金曜日

(宣伝..)まるでお店にいるかのようなオンラインショッピング

*仕事の宣伝で恐縮です

本日、ALEXCIOUS上にてパノラマバーチャルショップをオープンしました。
"パノラマバーチャルショップって何?" という皆様には、百聞は一見に如かずということで、まずはこちらをご覧いただければと思います。
今回オープンしたパノラマバーチャルショップは、株式会社能作さんのパレスホテル東京店をALEXCIOUS上に再現し、お店でのディスプレイそのままに商品をご覧いただき、オンライン上で購入することまで可能にするものです。
これは、ALEXCIOUSでは初めて提供するサービスとなります。

私たちは、"日本の優れた資産をグローバルビジネスとしてプロデュースしていく" というミッションに基づき、世界中のユーザーをお客様とし、現在のところは実店舗を持たず、オンラインショップのみで販売を行っております。
オンラインショップの可能性を追求し、世界中のユーザーに最高の購買体験を提供するという意気込みで日々仕事に取り組んでおりますが、ユーザーの皆様からは、

"この製品はどこで買えるのですか?"
(そのコメントが書かれているページからお買いあげいただけるのに...)

"ALEXCIOUSのお店はどこにありますか?"

"ユーザーは製品を手にとらないと買わないですよ”

といったご質問、ご意見をいただくことも多く、何かしらの方法でこうしたご期待に沿えないものかと、兼ねてより思いを巡らせておりました。
そんな中、ある出会いにより、インターネットにおけるリアルとバーチャルの融合を促進する技術の研究開発、製品化に取り組んでいるカディンチェ株式会社さんと知り合い、お互いにベンチャー企業同士という共通点もあり、コラボレーションが実現する運びとなりました。

5月17日に新規オープンした能作さんのパレスホテル店のインテリア、素晴らしい製品の数々を、まるでお店にいるかのように体験することができますので、ぜひご利用ください。
(6月30日までにALEXCIOUSにて能作製品をお買い上げいただくと、特製マドラーと500円相当のポイントを差し上げておりますので、どうぞよろしくお願いします!)
http://www.alexcious.com/campaign/nousaku


これからも、世界中のユーザーに最高の購買体験を提供することを目標に、同様の取り組みを活発にしていきたいと思います。


2012年5月6日日曜日

南條隆一座とスーパー兄弟

横浜 三吉演芸場へ"南條隆一座とスーパー兄弟"の公演を観に行ってきた。
大衆演劇というジャンルに属するエンターテインメントであり、自分にとっては初めての体験であった。
大衆演劇で思いつくことと言えば、、梅沢富美男、東十条にある篠原演芸場(小さい頃、近くに住んでいたことがあるので)、一万円札で造った首輪のおひねり、、そして最近では北野武映画に出演した早乙女太一、といった断片的なものであるが、一言で言えば中高年女性向けの娯楽なので、自分には縁のないものだと思っていた。
今回、好奇心旺盛なごく身近な方から当日のお誘いを受けたのだが、自分だけ行かないわけにもいかず、、といった流れになり、ひょんなことから行くことになった。
 
(当日の三吉演芸場入口) ここをくぐると未知の世界への好奇心が少しずつわいてきました....



入口で料金2,200円を払い、舞台正面の一般席に座に客席を見渡してみたが、やはりお年を召された女性が多かった。お客さんの入りは良く、開園前にはほぼ満員になっていた。
今回の、南條隆一座とスーパー兄弟の公演。
予備知識が全く無い状態で観に行ったのだが、開演前に劇場をうろちょろしたりして幾つか分かったことがあった。

(開始前に分かったこと)
・公演は二部構成で、第一部はお芝居、第二部はグランドショー といった形式になっているらしい。

・5月1日から29日まで三吉演芸場で公演しており、芝居の演目は日替わりになっているらしい。

・この劇団には座長が二人いて、その名前は龍 美麗 と 南條 影虎 らしい。

 

 

そうこうするうちに、お芝居 "沓掛時次郎" がはじまった。
 主役の時次郎を演じるのは龍 美麗。
”座長っ!”
の掛け声と共に颯爽と登場した彼は、精悍な二枚目であり、ストイックな役柄である時次郎を見事に演じていた。
約90分のお芝居であったが、ストーリーが面白いということだけでなく、役者の演技が素晴らしく、台詞まわしも魅力的で、飽きることなくあっという間に時が過ぎていった。
自分の前で観劇していたご婦人は、すっかり劇に感情移入して何度もタオルで目を拭っていたが、それほどまでに観客を芝居にひきこませる実力を持った役者ばかりであった。

"中高年女性向けの娯楽なので、自分には縁のないもの" なんていう先入観は、芝居の途中ですっかり吹き飛んでいた。

良い意味で期待を裏切られ、登場した役者に心からの拍手喝采!
素直に、おもしろかったです!

そして、第二部のグランドショー。
グランドショーというのは何だろう?
と思っていたのだが、はじまってみれば、歌謡曲にあわせて、約20人の劇団員のみなさまがひとりひとり踊りを披露する、ということが分かった。
これがもうサービス満点で、全役者さんたちがノンストップ・ローテーションで出演して、しかもひとりひとりがお色直しをして登場するというサービス精神に溢れていて素晴らしい。
昭和の演歌、歌謡曲もあれば、現代のジャニーズ、AVEX系もありというバリエーションの中で、役者が日舞的な踊りを披露するのですが、その独特の色気に満ちた目線とムーブがとにかく後をひくほど印象的。
 
これは、第二部グランドショーだけではなく、公演全体を通しての印象であるが、とにかく役者の方々、特に座長の二人の色気というのが半端ないのである。
色気という言葉は適切でないかもしれない 。
彼らは大衆演劇一座に生まれ、2、3歳で初舞台に立ち、幼いころから一座と共に日本各地を巡業し、全ての人生を芸能に捧げてきた "ナチュラルボーン役者"  である。
そうした予備知識がなくても、彼ら役者がそういう人生をおくってきた人にしかだせないオーラ、色気をむんむんに放っているということを、目の前で観ればきっと感じることだろう。

例えていうなら、マイケルジャクソン。
彼は幼いころから、兄弟共々ショービジネスの世界だけで生きてきた人である。
一般人が体験するような世界を知らずに、自分の人生をエンターテインメントにひたすら捧げてきた。
だからこそ、ぽっと出の歌手とは一線を画した卓越した技術を持ち、エンターテイナーとしてのすさまじい色気をはなっていたと言えるのではないか。

自分は、この龍 美麗 と 南條 影虎という二人の座長の演技と踊りを通じて、そうした感想を持ち、その一挙手一投足に大いに楽しませてもらいました。

 
第二部もたっぷり90分。 あわせて3時間の公演でしたが、このような素晴らしい技術をもったエンターテイナーの芝居とショーで2,200円というのは、とても安いと思う。
あるいは、この値段だからこそ、大衆演劇として歴史を築いてきたのかもしれない。
しかしながら、一つだけ言えるのは、
"2,200円以上のお金をとりながら、この劇団以上の エンターテインメントを提供しているものが、世の中にどれだけあるのだろうか?”
ということである。

中高年のご婦人だけのもの、とするには勿体ないくらい楽しいのが、 南條隆一座とスーパー兄弟のパフォーマンスでした。
また観に行ってみたいと思います。
ここでしか体験できない何かがあるから。
先入観を持たずに、ぜひ一度、彼らプロの役者のエンターテインメントをご覧になることをおすすめします。

 (公演終了後) 出演者全員で客を見送ってくれます。本当は二人の座長と写真を撮りたかったのですが、なぜか遠慮してしまいました。


 









2012年4月21日土曜日

六然(りくぜん)

昨日お会いした人生の大先輩。70代の今の楽しみは、アフリカ奥地で原住民とテント生活を共にするような冒険。
”何があるか分からないところの方が面白いじゃん”
のお言葉にしびれた。
お話しの最後に"六然"を教えていただく。
経験に裏打ちされた言葉の重みに敵うものはないと実感。

自処超然(じしょちょうぜん)
 自ら処すること超然
 自分自身に関しては、世俗の物事にとらわれないようにすること

処人靄然(しょじんあいぜん)
 人に処することあい然
 人に接しては、相手を楽しませ心地よくさせること

有事斬然(ゆうじざんぜん)
 有事には斬然 
 何か事があるときは、ぐずぐずしないできびきびとやること

無事澄然(ぶじちょうぜん)
 無事には澄然
 何も事がないときは、水のように澄んだ気でいること

得意憺然(とくいたんぜん)
 得意にはたん然
 得意なときほど、静かで安らかな気持ちでいること

失意泰然(しついたいぜん)
 失意には泰然 
 失意のときにも、泰然自若としていること


2012年4月19日木曜日

石巻、女川、雄勝を訪れて


2011年3月11日の東日本大震災。
あれから一年以上を経た今となって行くことの後ろめたさを感じつつ、宮城県石巻市、女川町、雄勝を訪れてきた。
高台にある女川町の病院、今そこから見えるのは、かもめが鳴く静かで綺麗な海だった。
あの日もいつものようにきっとこんな穏やかな景色であったに違いない。
しかし、その海-人々の生活を支える母なる海が突如として牙をむく..
その壮絶な現実をその場所で感じた。苦しいほどに胸がつまった。
 
自分にできることはただ合掌することしかない。



                                                      (女川町立病院から撮影) 

今回の訪問は、ある方たちとの素晴らしい出会いにより実現した。
一般社団法人MAKOTOの竹井代表、濱本さん、小尾さん、本多さんー 仙台の地で「復興志士ファンド」を立ち上げ、東北からチャレンジする起業家を輩出するための基盤をつくり、ひいては日本を変えるという高い志を持った方々とのご縁である。

自分が役にたてること、それを考えて実行していくことで、少しでもこの国のためになればと心を新たにする。
自分の現在の仕事で出来ることは何でも取り組むのだ。

それしかない。



(石巻)


復興にとって一番大事なこと、それは何にもまして雇用創出だと、現地の方が力説されていた。
震災前の石巻は日本製紙の工場で働く方々と水産加工工場に従事される方がほとんどであった。
その雇用元である日本製紙の工場は、まだフル稼働しておらず、水産加工工場は再建半ば。
事はそんなに簡単ではないことを思い知らされる。









ラーメン店、うつのみや食堂店主の宇都宮さん宅にて、特別にラーメンをご馳走いただいた。

お店は全壊認定をされるほどのダメージを受け、宇都宮さんご自身も震災後にご両親を相次いで亡くされるという過酷な時間を過ごされた。
それでも周囲のために炊き出しを続けるなど、献身的な活動を続ける店主、自分が同じ立場なら決してできないことだと頭が下がる。
とてもお店を再開できるような状況ではないが、店主は再開を決意したとお話しされていた。
それには、各地からボランティアで現地に根付いて活動している若者達が大きく影響しているとのことであった。
”この子達がいなければ、もう一度お店をやろうなんて思わなかった”
という言葉に考えさせられることが多かった。
 一口一万円からのオーナー制度で復活を期するうつのみや食堂、あっさりした美味しいラーメンだけでなく、酸辣湯麺(写真)そして、小龍包餃子(!)、ピザ(!)など、店主のこだわりメニューで再開するとのことなので、その際にはまた是非食べに来たい。

 (雄勝)
特産品「雄勝硯(すずり)」の産地、日本産すずりの約9割を生産する地であるが、全家屋の9割が被災するという壊滅的な被害を受けてしまった。
高台の道路から、その町が見えてきたとき、そこにあった風景は何もない、まるで焼け野原のような衝撃的な光景であった。
思わず息を飲む...
雄勝硯生産販売協同組合の事務局長の方にお話を伺ったが、現在はすずりの生産は再開に至っていないとのことであった。
石を掘削して切る機械が壊れ、その修理に時間と費用がかかっていること、そして職人の方々の高齢化と何よりも震災による損失が多きすぎるという事実。
長い道のりになるかもしれないが、必ずや復興して欲しいという気持ちが心から湧いてくる。








2012年3月31日土曜日

2011年 - Googleに感謝、そしてONCE AGAIN

この年の最終日である12月28日をもってGoogleを退職することにした。
なぜそのような決断をしたのか、という点については、ここまでの本備忘録で述べてきたとおりである。
2003年12月にGoogleに入社して以来、約八年間、Google並びにAdWordsを一人でも多くのお客様にご利用いただき、お客様のビジネスに貢献できるように取り組んできた。
色々と至らない点ばかりであったかと思うが、Googleを通じて、幸せなことに数多くの素晴らしい方々と出会い、大変充実した仕事生活を送ることができた。
お世話になった皆様には深い感謝とお礼を申し上げます。


そして、一度、心を決めてしまえば、あとは未来に向かって進むだけ。
長いことGoogleで共に働いたある同僚と私の持論、それは自分たちは "株式会社インターネット"に就職した人間なのだということ。
2000年からの10年以上、ビジネスマンとしての重要な年代を、このインターネットビジネスの世界でサバイブしてきた。
この自由な、そして変化と革新に富み、何か新しい価値を産み続けるインターネットビジネスが大好きなのであり、働き方、働く会社はその後からついてくるのである。
そして、2012年のテーマとして自分が設定したこと、これらは頭で考えたというわけではなく、自分が日々感じていることに向き合い、自然に出てきたものである。


(2012年のテーマ)
インターネットが本来持っている突破力、持たざるものでも世界中に情報発信できるという革新性を今一度重要に考える
インターネットビジネスにおいて成功されたこの業界の先駆者の方とお会いした時にお聞きした言葉、
"人類史上、はじめて誕生した世界共通言語は何か分かりますか? それはTCP/IP なんですよ"
これほどインターネットが地球単位で社会にもたらすであろうインパクトをシンプルに表現した言葉を知らない。これはインターネットでビジネスを行う際に、常に意識しておきたいことである。


・日本から海外へ

分がGoogleでやってきたことを端的に言えば、Googleというシリコンバレー産の製品を輸入していたこと、とも言える。次はそれとは反対のテーマ
に取り組んでみることが面白い。日本の製品、サービス、コンテンツ、或いはヒトそのものを、インターネットを通じて海外に対して発信すること。
未曾有の円高で環境としては逆風ではあるが、日本市場だけではなくて世界市場を対象としてビジネスに取り組むことは、将来的にも意義があるに違いない。


・意志ある人たちとの連携
インターネットを通じた人と人との繋がり、顔、感性、志の見える繋がりが急速に普及している。
これからは、初めは小さなグループであっても、同様の志を持つ人たちが結びつくようになり、各テーマに応じたムーブメントが活発になるであろう。これはインターネットありきで起きている時代の変化というより、私個人が感じている、時代の節目のようなものかもしれない。


2012年、これらのテーマを実現するために、与えられた条件の中でベストな環境で仕事をすることにした。自分でゼロから起業することも考えたが、結果として、自分の志、ビジネスプランに共感してくれたアレックス株式会社に参画し、上記のテーマを実現するために奔走しようと決意した。
短期的な利益を追求し最大化すること、それはあらゆる組織、個人に求められることではあるが、その種のゲームだけでこの世の中は成立しない、というのが自分の価値観である。
上記のテーマを実現することで、短期間で大きな収益に繋がるがどうかは分からない。
一日も早く、意義のあるものとして世の中にインパクトを与えるものにできるよう、力を尽くして取組んでいくだけである。


"人生とは必然の集積である"
今ある自分というのは、無数にあった分かれ道を、そのときそのときの可能性にしたがって進んできた結果の姿なのであって、「必然の集積」だと言ってもよい(by 中島らも)


Googleでの仕事の備忘録は、これで終わりです。
ご覧いただきありがとうございました。
これからは、現在、未来のことを記していきたいと思います。
本エントリーのタイトルに含めた、"ONCE AGAIN"(by RHYMESTER) の心持ちで取組んでいるエキサイティングな毎日を。

2011年の参考情報 
日本のインターネット広告費
8,062億円 (対前年比+4%)
 *出典:電通「日本の広告費」

Google 年間売上高 (全世界の売上) 
37,905百万ドル(対前年比+29%)

主なニュース

1月:「ペニオク」「グルーポンおせち」などネット取引のトラブルが話題に
2月:AndroidマーケットがPCから利用可能に、IPv4アドレス枯渇問題にも注目
3月:東日本大震災が発生、計画停電に関するニュースに多数のアクセス
4月:オンラインストレージ「Dropbox」のクライアントソフトが待望の日本語化
5月:個人情報流出でサービス停止していた「PlayStation Network」再開へ
6月:世界規模での1日IPv6実験「World IPv6 Day」実施、Googleのソーシャル化始動も
7月:NHK「みちしる」がトップ、Twitterのリアルタイム検索がGoogleで利用不可に
8月:「Hulu」日本上陸、YouTubeやニコ動など動画配信サービスに高い関心
9月:コピー機や自炊代行、クラウドなどにも影響する「私的複製」をめぐる議論
10月:GoogleがMaps APIの有料化と、新プログラミング言語「Dart」を発表
11月:セブン-イレブンで無線LANが使える「セブンスポット」開始へ
12月:スマートフォンを“覗き見”するとして「Carrier IQ」が大きな話題に
  出典:Internet Watch

2011年 - 強いセールスチーム

前述したとおり、2010年に発表されたYahoo!Japanとの提携をきっかけとし、それが実際に開始される2011年中には、自分自身は新たな道を進もうと決めていた。
しかしながら、年初より自分の責任範囲は広くなり、総勢約25名で約1,000社近くの広告主のお客様を担当する、第二広告営業本部を統括することになった。
非常に遣り甲斐のあるポジションを与えてもらった光栄なことであり、自分としてはこの一年をGoogleでの仕事の総決算とするつもりで臨んだ。


一言で言えば、個の力ではなくて、組織力でお客様の問題解決にあたるマインドを強くもったセールスチーム、個々は競争しながらも、目標達成のために一丸となれるような明るいチームをつくることを最後の目標に設定した。
それは、自分がGoogleでの仕事を通じてなかなか得ることのできなかった環境であり、だからこそ、少しでもそうした環境づくりを最後にできれば、と思ったからである。


Googleは社員間の競争が激しい会社であり、ともすれば個人商店になりがちなところもある。
採用も積極的に行っており、"その時必要な人材は広く外部から調達してくる"  という、スポーツで言えばニューヨーク・ヤンキース、読売巨人軍のような発想を持った会社(ヤンキース、巨人以上に)というのが私の経験に基づいた印象である。
なかなか心の通ったチームワークが育ちにくい土壌と言ってもよいだろう。
それゆえ、自分がGoogleで働いてきた八年間、孤独を感じるようなことも多々あった。
そんな自分が経験してきたGoogleのセールスチームに"Share your best practices" のattitudeを根付かせ、チームのミッションである
" Share the power of Google online ad products to grow mid-market businesses"
の実現と目標達成に向けて協力しあい、課題を抱えているメンバーがいれば皆で解決するという強いセールスチームをつくろうと心に誓った。
第二広告営業本部は若くてスピード感を持って仕事に取組む社員が多く、このメンバーならそれを実現できると思っていた。


我々のお客様は、伝統のある大企業・ナショナルクライアントといった企業ではなく、いわゆるネットベンチャーと括ることができる企業。
まず、チームを4つのグループに分けた。1,2,3のグループはお客様の業種別に分かれ、お客様のマーケティング課題を解決するために、AdWordsをフル活用してもらう継続的な提案活動を中心に行った。ここでは、お客様の課題を深く理解することに加え、それを解決する具体的なAdWords活用提案をするための深い製品知識が求められる。
4つめのグループには、ひとりあたりの担当顧客数が圧倒的に多くなるが、スピード感を重視した提案活動をスケール感を持って行う、というGoogleならではのチャレンジに取り組んでもらうことにした。
このグループに求められるスピード感は非常にハードルが高く、極力無駄を排した電話営業や代理店とのスケーラブルな協業が必要になってくる。
これら4グループ全てが、どんなに会社から高い目標が与えられたとしても、常に積極的に取組む
姿勢に溢れており、あらゆるアイデアを議論してすぐに実行する気持ち良さがあった。
詳細は割愛するが、それらのアイデアから実現した営業施策の一部をご紹介すると、、


春のパン祭り
南部せんべいお届けプロジェクト
冷し中華はじめましたキャンペーン
Google福袋
・・・・・・・・


一見おふざけのようにも見えるが、いずれも中身は広告主、代理店とのエンゲージを深めながら、Google AdWordsを更に活用してもらう工夫をこらした企画であり、我々第二広告営業本部が独自で発案して実行したものである。


その中で簡単に説明できる、東日本大震災後の"南部せんべいお届けプロジェクト"をご紹介したい。
3月11日以降の春先は、積極的にお客様とビジネスの話をするといった環境になく、日本人の多くが悲しみや喪失感、不安な気持ちにかられていたと思う。
我々の中で、お客様と未来について話をするきっかけが欲しく、そして、甚だ微力ながら東北の産物を消費することで何か役に立てることがあるのではないか、という話をしていた。
そして、我々が担当している全てのお客様に岩手県の南部せんべいをお渡しすることにし、お客様との未来に向けた対話のきっかけをつくることにした。


このようなアイデアが自発的、主体的にうまれてきて、それを素早く実行するといったことが当たり前のように行われる、”鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス” の気風に満ちたチームでお客様との仕事に取組めた2011年には何の悔いもなかった。
素晴らしいチームに恵まれたおかげで、自分自身も皆に負けないよう向上することができたと感謝するばかりである。


Googleは常に変化を求める会社であり、変化すること自体が目的化しているような一面も併せ持った組織である。
2011年の年末、Google worldwideの営業を統括するSenior Vice Presidentの鶴の一声により、世界各国のセールスチームが個別の事情を忖度されることなく、同じ方針で同じかたちで再編成されることになった。
そのため、Google Japan第二広告営業本部の面々も、2012年から各自が異なるチームで活躍することになったが、それまでの充実した仕事ぶりからしても、どこにいっても活躍しているに違いない、と私は思っている。





2012年3月29日木曜日

2010年 - The game is over

この年の7月、Yahoo! JapanとGoogleとの提携が発表された。

本提携は簡単に言うと以下の二点になる。
1. Yahoo! Japanの検索エンジンがGoogleから提供されるもの(をベースとしたもの)になる。
ユーザーに対する変更。これによりYahoo!のウェブ検索結果がほぼGoogleと同じになる。
2010年11月より実施された(発表当初は開始時期の具体的言及はない)

2. Yahoo ! Japanの検索結果に掲載するための広告配信システムがGoogleから提供されるもの(をベースとしたもの)になる
広告主に対する変更。広告主が購入したYahoo! Japanの検索連動型広告のバックエンドはGoogleが提供したものに変更になる。
2011年11月より実施された(発表当初は開始時期の具体的言及はない)


*上記2について大雑把に例えると、セブンイレブンでプライベートブランドとして売っているカップ麺が、実は日清製のカップヌードルだった、というような話で、ここではセブンイレブンがYahoo! Japan、プライベートブランドのカップ麺がYahoo!が販売する検索連動型広告、日清がGoogleの役割となる。
参考までに言うと、以前本ブログに記した2002年から2004年におけるYahoo!JapanとGoogleとの提携と今回の内容は異なる。
(この当時は、Google AdWordsを購入すれば、Yahoo!にもGoogleにも掲載されますよ、という提携内容であった)

私個人にとって、今回のYahoo!Japanとの提携は、2003年に自分がGoogleで働きたいと思った動機、そしてその後約7年間、一貫して自らの仕事の動機づけとしてきた "Yahoo! Japanの二番手である現状を打破したい"というテーマの終りを意味した。
もはや、ビジネス上の仕組みとして、"Yahoo! Japanを追い越そう" と言う必要がなくなったのだ。

今回の提携(広告主に対する変更となる上記2)により、Googleが日本で二番手のままであっても、提携先であるナンバーワンのYahoo! Japanの広告が売れれば 、その売上の一部もGoogleの収益になるのである。
つまり、Yahoo! JapanからGoogleが受け取る業務委託費の限界利益率 の方が、Google自らの営業活動による売上の限界利益率よりも高ければ、Yahoo! Japanの売上を増やした方がGoogleの利益にとってはプラスになる、ということも起こり得る仕組みなのである。


このYahoo! Japanとの提携にゴーサインを出したのは、CEO(当時)のエリック・シュミットであるが、もし自分が彼であったら同じ決断をするだろうか?ということが頭をめぐった。
ビジネス的には幾つかの選択肢の中のひとつであり、そのこと自体決して間違った選択ではないと思う。実に良くできた仕組みであるし、経営者としては保険をかける(Google JapanがだめでもYahoo!がある)のは当然のことであるから、それに異を唱えるわけではない。
数年先を見据えれば、ここで検索連動型広告におけるGoogle単独での市場拡大に見切りをつけ、来るべき他の市場(Facebookに代表されるソーシャルマーケティング市場)での競争に注力する体制を整える、という思惑もあったのかもしれない。それは十分に理解できることである。

ただ、私個人にとっては、"The game is over." というサインであり、この提携が実際に開始された時は自分が新たな道を進む時だということを心に決めた。
この想いは、2000年からインターネットビジネス、広告営業に携わってきた自分の私的なものであり、ここで記したようなことは、当時のチームメンバーの前で口にしたことは一切ない。
自分の仕事歴に基づいた私的な想いを、Googleの営業の最前線に立つ面々に押し付けるような真似は一切したくなかったからである。

この提携は、ここ数年で日本のSearch Engine Marketing市場に最大のビジネスインパクトを与えるニュースと言える。
それほどまでに日本市場に大きなインパクトを与える提携でありながら、その合意までの経過全てがアメリカ本社主導で行われ、当事者となるべきGoogle Japanが主体的に関わっていないということも、新たな道を進もうという決断を後押しする材料のひとつであった。


2010年の参考情報 
日本のインターネット広告費
7,747億円 (対前年比+10%)
 *出典:電通「日本の広告費」

Google 年間売上高 (全世界の売上) 
29,321百万ドル(対前年比+24%)

主なニュース
*Googleが中国市場から撤退、「検閲をこれ以上容認できない」
*AppleがiPad発売、電子書籍市場に参入*「IS03」「GALAXY」など国内キャリアもAndroid搭載スマートフォン投入*ヤフーがGoogleの検索エンジンと広告を採用、業務提携で
  出典:Internet Watch



2012年3月27日火曜日

2010年 - お客様に触発される

この年は、ここ1,2年で新たに仲間に加わった活きの良い若いメンバーと共に、自分のチームでの仕事に専心した。
我々のチームのお客様は、インターネットによるビジネスがその企業にとっての主な収入源であり、インターネット広告の活用がマーケティング上の最重要課題である、といった企業であったので、Googleのセールスである我々からの情報や提案を非常に熱心に聞いてくださり、その提案内容に同意していただければすぐに実践していただくという、非常に恵まれた環境であった。
どのお客様も経営にスピード感があった。

これらのお客様は伝統のある大企業・ナショナルクライアントといった企業ではなく、いわゆるネットベンチャーと括ることができるお客様が多かった。
セールスの我々が普段コンタクトをとる方々は、企業における意思決定者に近い場合が多く、自分も多くの経営層の方々と接する機会を持つことができた。
そうした環境の中、Google のセールススタイルとして会社からも推奨され、私自身も常に意識的に実践し、そしてチームにも促していたことは、

"お客様の話を良く聞き、情報を引き出し、課題を共有すること”

ということであった。
はじめからGoogleやAdWordsの話しをするのではなくて、とにかく話を聞く、ということである。
ある程度経験を積めば、自然な流れでお客様から情報を聞いて課題にまで到達できるが、そうでないケースでは、それを実践するための決まった質問シートを持参するよう促したものである。
お客様の課題を共有できれば、自ずとその解決のためにGoogleができることが見えてくる、というのがその背景にある考え方であった。
そして、それが可能なのはAdWords をはじめとするGoogle製品の品質の高さによるものであった。

"どんな時に、Googleで働いていちばん良かったと思いますか?"
という質問を、採用面接の面接官をしている時に良く聞かれたものであるが、その時に私は決まって以下のように答えていた。

"私はずっとセールスとしてGoogleで仕事をしてきました。通常、会社の営業マンというのは、自社製品の売り込みを、時にはちょっとしたうしろめたさを持ちながらやらなくてはいけない。この製品は本当にお客様にとってベストの選択なのか?と自信を持てないこともあるのです。だから押し売りっぽくなったり、値下げをしてそのうしろめたさを解消したりすることもあります。
でも、Googleではお客様の課題を解決するためにどうすれば良いのか、ということをまっすぐに考えて、そのために知恵を絞って提案すれば良いのです。
これは、非常に恵まれたことであり、セールスとしての本来の仕事に邁進できる環境に感謝しています。" 

" Share the power of Google online ad products to grow mid-market businesses”

これが、自分が属する Google Online Sales GroupのリーダーであったVPのクレア・ジョンソンが世界共通に掲げたミッションであり、このミッション、特に "grow mid-market businesses" は自分自身の性格と成し遂げたいことにぴたりとはまったものであった。

そして、このOnline Sales Groupというチームで、経営層のお客様と接点を持ち、彼らが日増しに成功をおさめていくことを目の当たりにするに連れ、自分の中で経営者に対する憧れや、小さな企業でも良いからいつの日か自分がその立場で仕事をしてみたい、という気持ちが湧いてきていた。
自分が接した経営層のお客様の多くは、若くて、リスクを恐れず挑戦し、責任を背負って、そして前向きで明るい方たちであり、自分にはぴかぴかに光って見えた。



ビジネスの真の醍醐味は、企業全体に対して意思決定を及ぼせる立場になって初めて分かると思いはじめていた。
Googleという素晴らしい会社で、ある営業部の責任者という立場を任せてもらっていたことは光栄なことではある。
しかし、それは会社全体の意思決定に関わるということとはほど遠く、ましてやアメリカに本社のあるこれほどまでの大企業では、日本にいる限りそれは望むべくもない。


"鶏口となるも牛後となるなかれ" という価値観に惹かれはじめたことを自覚していた。


追伸:あるお客様が、自らの言葉で、Google AdWordsを使い倒したことで事業の収益化に成功した体験を語っているビデオを紹介いたします。(前編後編
東京都西多摩郡で自動車の板金塗装を営む池内自動車様の社長と私の対談になりますが、AdWordsがもたらすビジネスインパクト、その革新性をここまでシンプルに表現したお話しは貴重である。
広告がもたらすビジネスインパクトというのはシンプルに語られるべきものであり、シンプルであればあるほどパワフルなストーリーになる、だからこそAdWordsによってGoogleがここまでの成功をおさめることができたというのが私の経験からの持論である。
もっとも、ビデオ内でも語られているように、ビジネスインパクトを産み出すための試行錯誤を絶やさずに行うことが前提にはなるが、それこそがまさにAdWordsが持つ革新的な部分なのである。
*本ビデオは2011年前半に撮影されたものであるが、本エントリーの内容と関連性が高いので、こちらで紹介いたします。

2012年3月26日月曜日

2009年 - Right Support to the Right Customer - 適材適所

シンガポールにGoogleセールスチームのアジアパシフィック本社が築かれたことにより、その市場規模の大きさから日本への期待と共に、目が光る環境となったことは前述したとおりである。
そして、良くも悪くも、日本独自の判断で進めてきたことを一から見直すことになったわけだが、この流れは2008年から少しずつはじまっていた。
大きな命題として取り組んだのは、
"適切な営業サポートを適切なお客様に提供する" (Providing right support to the right customer)
ということであった。
それを実現するために掲げた大きな方針は以下となる。

1. 企業規模、広告宣伝費(インターネット広告費に限らず)の多い企業を割り出し(いわゆるナショナルクライアント)、それらの企業とGoogleとのリレーションを築きあげ、Google製品の活用を促すことを可能にする営業活動の基盤をつくる。そのセールスチームは業種別に分かれて、専門性を発揮する。
 
2. インターネットによるビジネスがその企業にとっての主な収入源であり、インターネット広告の活用がマーケティング上最重要課題である企業について、スピード重視で提案できる営業部隊を質、量とも強化していく。このセールスチームは、AdWordsの具体的提案を数多く実施し、お客様のマーケティング課題を解決することを目指す。
*ちなみに、この部分は私が2008年から取り組んでいたことである。

3. 月額数千円、数万円のご利用金額ではあるが、継続的にAdWordsをご利用してくださるお客様ー このゾーンは顧客数が多いため、Googleが持つテクノロジーの活用等の工夫により、スケーラブルな(かつ品質の高い)サポートを提供することを目指す。


4. Google自身で新規顧客開拓を組織的に行うチームを立ち上げる。

この4つは、いずれもGoogleのアメリカ本社をはじめとした各オフィス、ヨーロッパですでに行われていたことであった。
これまで述べてきたように、Google Japanは、"広告代理店に対する営業活動を中心に行う" というのがAdWordsセールスにおける大きな方針であり、多くのリソースをそこに割いていた。
もちろん、上記の4つを実現するためには、広告代理店とのパートナーシップが必要になる局面が多々あるので、今後は広告代理店への営業活動には力を入れないという意味では全くない。
Googleとしての上記の大方針のもと、代理店とは主体的かつ戦略的にビジネスを行う、ということを目指したかったのである。

そして、これを実現するために、セールスチーム内での担当顧客変更、仕事内容と担当の見直し、新チームの設立、新規採用といった施策をうった。
自分の最も大事なミッションは上記2を実現することであり、そのために仲間達と全力で取り組んだが、自分としてはそれだけがうまくいったとしても合格点にはならない、という意識を強くもっていた。
なぜならば、2009年の大目標は、AdWordsセールスチーム全体として
"適切な営業サポートを適切なお客様に提供する"
 ということを実現することであり、そのために上記4つの大方針を掲げたからである。
自分が主として取り組むのは、そのなかの2の範囲ではあるが、4つの全てを実現するために、自分ができることは全てやりたい、と思い、実際に関わらせてもらった。


この年に我々が取り組んできたこと、実現したこと、、これに対してお客様から評価していただき、数字上の成果を残せるようになるまでは、約一年かかってしまったかもしれない。
この一年は、より良いサービス、顧客満足、そしてGoogle Japanの更なる発展のために新たな方針を掲げ、それまでのやり方を変えることに仲間たちとチャレンジした一年であった。

気がつけば、あっという間に一年が過ぎていた。


この年の大きな変化としてもうひとつ記しておきたいこと、それは1998年のほぼ創業時から全世界のGoogleのビジネス責任者であったSeior Vice Presidentのオミッド・コーデスタニが一線を退いたことである。(日本在住経験もある彼により、日本はアメリカ以外の国で開設された最初のInternational officeとなった)
後任は、2004年からヨーロッパのセールス責任者だったニケッシュ・アローラとなった。
この年はアメリカの大統領がブッシュからオバマに代わり、様々な政策転換がドラスティックに行われはじめたが、Googleのビジネス責任者の交代もそれと同様のチェンジをもたらすことになった。

アメリカ企業において部門のトップが変わると、ここまで変わることになるのかと、この後ことあるごとに思い知らされることになる。

2009年の参考情報 
日本のインターネット広告費
7,069億円 (対前年比+1%)
 *出典:電通「日本の広告費」

Google 年間売上高 (全世界の売上) 
23,651百万ドル(対前年比+9%)

主なニュース
*MS、「Windows 7」発売。「ユーザーの声」をもとにVistaを改善
*「Twitter」流行の波が日本にも。著名人の利用や関連サービス発表が相次ぐ
*Google、「Google日本語入力」ベータ版公開
*アップル、「iPhone 3GS」発売。最新OSでコピー&ペーストにも対応
*Google、「Google Chrome OS」プロジェクト公開。製品登場は2010年後半
*「Android」端末が日本でも登場、NTTドコモが「HT-03A」発売
*MS、新検索サービス「Bing」開始