2012年4月21日土曜日

六然(りくぜん)

昨日お会いした人生の大先輩。70代の今の楽しみは、アフリカ奥地で原住民とテント生活を共にするような冒険。
”何があるか分からないところの方が面白いじゃん”
のお言葉にしびれた。
お話しの最後に"六然"を教えていただく。
経験に裏打ちされた言葉の重みに敵うものはないと実感。

自処超然(じしょちょうぜん)
 自ら処すること超然
 自分自身に関しては、世俗の物事にとらわれないようにすること

処人靄然(しょじんあいぜん)
 人に処することあい然
 人に接しては、相手を楽しませ心地よくさせること

有事斬然(ゆうじざんぜん)
 有事には斬然 
 何か事があるときは、ぐずぐずしないできびきびとやること

無事澄然(ぶじちょうぜん)
 無事には澄然
 何も事がないときは、水のように澄んだ気でいること

得意憺然(とくいたんぜん)
 得意にはたん然
 得意なときほど、静かで安らかな気持ちでいること

失意泰然(しついたいぜん)
 失意には泰然 
 失意のときにも、泰然自若としていること


2012年4月19日木曜日

石巻、女川、雄勝を訪れて


2011年3月11日の東日本大震災。
あれから一年以上を経た今となって行くことの後ろめたさを感じつつ、宮城県石巻市、女川町、雄勝を訪れてきた。
高台にある女川町の病院、今そこから見えるのは、かもめが鳴く静かで綺麗な海だった。
あの日もいつものようにきっとこんな穏やかな景色であったに違いない。
しかし、その海-人々の生活を支える母なる海が突如として牙をむく..
その壮絶な現実をその場所で感じた。苦しいほどに胸がつまった。
 
自分にできることはただ合掌することしかない。



                                                      (女川町立病院から撮影) 

今回の訪問は、ある方たちとの素晴らしい出会いにより実現した。
一般社団法人MAKOTOの竹井代表、濱本さん、小尾さん、本多さんー 仙台の地で「復興志士ファンド」を立ち上げ、東北からチャレンジする起業家を輩出するための基盤をつくり、ひいては日本を変えるという高い志を持った方々とのご縁である。

自分が役にたてること、それを考えて実行していくことで、少しでもこの国のためになればと心を新たにする。
自分の現在の仕事で出来ることは何でも取り組むのだ。

それしかない。



(石巻)


復興にとって一番大事なこと、それは何にもまして雇用創出だと、現地の方が力説されていた。
震災前の石巻は日本製紙の工場で働く方々と水産加工工場に従事される方がほとんどであった。
その雇用元である日本製紙の工場は、まだフル稼働しておらず、水産加工工場は再建半ば。
事はそんなに簡単ではないことを思い知らされる。









ラーメン店、うつのみや食堂店主の宇都宮さん宅にて、特別にラーメンをご馳走いただいた。

お店は全壊認定をされるほどのダメージを受け、宇都宮さんご自身も震災後にご両親を相次いで亡くされるという過酷な時間を過ごされた。
それでも周囲のために炊き出しを続けるなど、献身的な活動を続ける店主、自分が同じ立場なら決してできないことだと頭が下がる。
とてもお店を再開できるような状況ではないが、店主は再開を決意したとお話しされていた。
それには、各地からボランティアで現地に根付いて活動している若者達が大きく影響しているとのことであった。
”この子達がいなければ、もう一度お店をやろうなんて思わなかった”
という言葉に考えさせられることが多かった。
 一口一万円からのオーナー制度で復活を期するうつのみや食堂、あっさりした美味しいラーメンだけでなく、酸辣湯麺(写真)そして、小龍包餃子(!)、ピザ(!)など、店主のこだわりメニューで再開するとのことなので、その際にはまた是非食べに来たい。

 (雄勝)
特産品「雄勝硯(すずり)」の産地、日本産すずりの約9割を生産する地であるが、全家屋の9割が被災するという壊滅的な被害を受けてしまった。
高台の道路から、その町が見えてきたとき、そこにあった風景は何もない、まるで焼け野原のような衝撃的な光景であった。
思わず息を飲む...
雄勝硯生産販売協同組合の事務局長の方にお話を伺ったが、現在はすずりの生産は再開に至っていないとのことであった。
石を掘削して切る機械が壊れ、その修理に時間と費用がかかっていること、そして職人の方々の高齢化と何よりも震災による損失が多きすぎるという事実。
長い道のりになるかもしれないが、必ずや復興して欲しいという気持ちが心から湧いてくる。